在宅医療をさらに進展させるには

 今日、介護保険が施行され1年余りになるが、少子高齢化は進行しており、同時に核家族化が進みいわゆる世話を出来る人がいない家族環境は変わっていない。また「田舎―農村社会」では未だに大家族が多く婦人会や青年部などが対処しているが、他方、都市ではうさぎ小屋の家という環境で、家族介護は至難であり、家族のきずなも希薄化している。都市では近隣相互の交流も少なく、地域社会は崩壊しているといっても過言ではありません。

 

 私は千葉西総合病院と今の診療所で8年余り在宅医療に携わって参りました。千葉西では地域医療部長として約150名の訪問看護を管理し、平成11年1月に新規開業してからこれまでに、総数61名の在宅医療を行って参りました。2001年3月のまとめでは、うち17名が途中で死亡され、9名が何らかの入所をされていました。本日はこれらの経験から「在宅ケアを支える」ための考察を行います。

 

 在宅医療を阻む第一の要因は、急性期医療の内容にあります。特に病院における救急医療の現場から「寝たきり」の患者さんが最も頻度が高く出現します。そうした救急医療や入院の際、家族に対する病状説明の場で、その予後を説明する時に「治療を終えたら(在宅死も含めて)家庭で診る―医療もそれを援助する」ということをしっかり話し家族に対し動機付けを行い、また医師自身もそれを自覚して治療にあたるべきであります。 

 ところが今日未だに患者さんに病状記載も十分に行われていないのが現状です。治療を終了し病状が固定した段階で在宅医療を進めても中々進まないし、それこそ「病院から追い出される」と思われたり、そのまま施設を希望したりします。医者や看護婦は、「患者さんを家庭に帰す」という視点をしっかり持っていれば、寝たきりにさせたり褥瘡をつくったりしなくなります。いわゆる「平均在院日数」も減少し、病棟の有効利用も上がり医療費軽減にもつながります。 

 本来、医者の意識は「私は急性期担当の医者だ」とか「慢性期担当の医者」だとか区分していてはいけないはずである。慢性期として患者さんを診ていても急性期を想定していなければならないし、急性期を診ていてもその後の予後=慢性期を想定していなければならない。「病気ばかり診て病人を診ない医療」が問題とされるが、患者さんを経時的にも総合的に管理するべきであります。

 

 在宅医療を阻む第二の要因は、在宅医療の死亡症例から見てとれます。やむを得ず死亡に至った方もいますが、理不尽な死亡もあります。 

 17人の死亡されたうち、5人がそう感じるものでした。 

 Nさんは松戸市最高齢の男性でしたが、インフルエンザに罹患後低酸素から心不全も来たし、その旨申し送って入院したのに、受け取った医師は適切な量の利尿剤を投与せず、亡くなりました。 

 Fさんはペースメーカー電池交換という単純な手術で入院、ところがその創部にMRSAが感染し、結局は痰が咽喉に詰まったと思われる突然死となりました。 

 特にSさんに至っては「何と言うことに」と驚き怒る経過でした。左肩の脱臼で入院、整復できず、全身麻酔下に整復、微熱があり心配した奥さんに対し、「ここはホテルではないので早く退院しなさい」と言われたその翌々日に喀痰が詰まったと思われる突然死でした。 

 私の考えではこの5名はいずれも適切な管理をしていれば決して命を亡くす状態ではありませんでした。

 

 したがって在宅医療を阻むものの2番目としては増悪期に入院する際に管理する医師の技量にかかっているのです。やむを得ぬ死亡もありますが、理不尽な死亡―在宅で診ていた医師としては納得できない病院死もあり、正に今マスコミ等で問われている医療全体の問題が出てくるのです。

 

 在宅医療を阻むものの第3は、施設入所の問題です。施設入所となった例を分析すると、次の3つのパターンがあります。 

 第1は介護者自身が高齢者であったり病気がある場合。この場合は要介護者を支える「余裕がなくなる」という形です。施設数が限られているのですから、「せめて半分の期間を誰かが見てくれると助かる」という感情を考慮し、この対策としては、ショートステイの運用の弾力化を推進し、「100床の施設を200人で活用」の観点も必要ではないでしょうか。 

 第2のパターンは、日中独居老人または子供夫婦が共働き家庭の場合です。今日、こうした夫婦の殆どは「介護の為に仕事を辞める」ことはできません。したがって、高齢者が最小限の自力生活ができなくなると施設に入れざるを得なくなります。これに対する対策は殆ど無いといえるでしょう。 

 第3に勿論、要介護者が重症化した場合です。介護者が比較的しっかりしていても管理が困難となる程度に重症化した場合は、やはり病院から施設へと回されてゆくことになります。この対策としては、事前の行き届いた医療的な管理が対策となります。

 

 したがって在宅の継続と中断の構造はこのようになります。     

  要介護者 ― 重症化       

  介護者  ― 弱体化 

 これに対して、医療的な管理と施設の有効利用で臨む必要があります。


 以上の基本構造をみると、現在行われている要介護認定の問題点が浮かび上がってきます。現在は、要介護者のみの状況で判断され認定されています。その人がどういう環境でどういう社会的なつながりの中にいるかの判断は除外されています。したがって在宅を支援するという視点では認定されません。例えば、独居老人や介護者が病弱な要介護者等ではその事情が調査・認定に反映されず、そうした要介護者の重症化や介護者の弱体化が進展し、気づいたときには手遅れで、病院入院から施設入所へと直ちにレールにのることになります。現場で働いている多くの人々は、この矛盾に苛立っている日々を送っており、法改正も含めた対応策が必要と考えます。

 

 当たり前の事ですが、在宅医療への医師・医療関係者の関わりは要介護者の重症化を阻止し介護者の弱体化を防ぐことであります。その内容を整理すると以下のようなものではないでしょうか。

 ① 介護者が重症化しないように全身管理を十分に行う。その際は介護者の医療的な管理も行うことでその弱体化を防ぐべきでしょう。

 ② 勿論、在宅生活の維持に際しては、薬物療法・在宅医療の技術・褥瘡の予防や処置・他に「高度技術」も駆使した専門技術を通してあたる必要があります。

 ③ さらに患者と家族のくらしを支援し、いざというときの心の支えとして、こまごまとした事柄の相談者としても関わる事があります。

 ④ 時には死に際しての相談者・導き手として関わることも出てまいります。最後の局面がどのような経過をとるのかを予測し説明することは特に在宅死の際、重要であります。 以上を通じて、正に「地域を病棟として管理する」という視点に立てばおのずと医師・医療関係者の関わりが見えてくるのではないかと考えます。

 ⑤そして、今日の社会状況では、「医療は地域社会の再構築の鍵となりうる」ことを念頭に置き鋭意努力すべきではないでしょうか。高齢社会の進展とともに病院や診療所は既存の集会所や市民センターよりも住民が集い交流する場となり得ます。診療所や病院は、崩壊した地域共同体を再度生き生きとして助け合う社会に再構築する要となりうるのではないでしょうか。

 

 ここで平成13年4月に行った松戸市医師会会員向けの「在宅ケアに関するアンケート調査」の結果をお示しします。
 何らかの形でこれまでまたは現在、訪問診療を行ったことのある医師は62%で、現在も48%の先生方が訪問診療や往診をしています。訪問看護ステーションやケアマネジャーから訪問診療の依頼は30%しかなかったのですが、そのうちの94%が依頼に応じて訪問診療を行っており、関係事業者が主治医の先生に積極的に依頼してみる価値があると考えられました。 

 平成13年4月現在で医師による在宅医療を受けている患者さんの数は、回答のあった人数の総和は774人、他に今回回答がなくて在宅ケアを行っている病院等もあり、結局松戸市の医師会員が関わっている対象者は、約1000人内外と推測されます。

 現在、介護保険の対象者数は約5000人であり、医師の関わりはまだまだ不十分で、特に要介護度の高い医学的管理が必要と予測される要介護者の方への関わりが今後望まれます。

 また在宅医療を提供している施設の分布を検討すると、西松戸・矢切・馬橋・北松戸・五香では提供施設が少なく、松戸市内の中でも「在宅医療過疎地域」が存在すると考えられた。 

 さらにヘルパーによる「移送サービス」によって患者さんが病医院を訪れるのなら、7割が診察に応じるとの回答がありました。 

 かかりつけの患者さんが通院不能となった場合の対応に関しても、家族やケアマネからの訪問診療の依頼に対して68%が何らかの形で訪問診療すると答えており、現状は市民や関係者が「遠慮している」傾向が強く、今後何らかの公示や宣伝が必要と感じられた。 

 全体として、もう少し主治医の先生を「うまく活用する」事が良いと考えられる。今後、主治医と患者さんの間の「垣根」を低くする努力や工夫が一層必要と考えられた。この訪問診療の条件としては、1)往診時間、2)家族や患者さんからの直接的な依頼、等をあげる医師が多かった。 

 松戸市医師会(在宅ケア対策委員会)として「どこが在宅ケアを行なっているか」や「どこが往診に行ってくれるか」という程度の情報公開する事に関して、伺ったところ、「公表すべきでない」という回答はわずか2件で、多くの病医院が何らかの形で「公表すべき」という回答であった。例えば田無医師会などではすでに「訪問診療可能病院」と「訪問診療不可病院」の一覧をホームページに掲載して広く知らせている時代で、こうした情報の公開に関しては、今日では医師会員のレベルでももはや"抵抗の無い事柄"となっていると考えられ、市民や介護支援専門員の要望に応える為にも、何らかの形で早目にしかも正確に公開することが望まれます。

 

10 まとめ   

<具体的な改革の提言と提案>

Ⅰ.既存建築物の有効再利用の道  

 

 松戸市の財政はご多分にもれず赤字で、2200億円の借金と言われています。松戸市の介護保険は年間90億円程度の収入から成り立ちますが、これを無駄な「箱物行政」の道具としてはなりません。 

 今日、松戸市内に50人用の施設を新たに建設しようとすると、10億円の費用がかかるといわれています。確かに、施設は「高齢者用のマンション」とも言えるものですから、1戸2000万円という計算でしょうか。この金額は結局のところ、介護保険から支払われてゆくのですから市民が支払う介護保険料にはね返ってきます。それはきりがない選択で「社会資本投資の充実」という幻想の世界を形成することになります。 

 一方、斜陽産業の建物や旧い公団住宅や学校の空き教室などは「建物の粗大ゴミ」と化しています。これらの高齢者施設への転用がまず考えられるべきです。地域住民との相互理解を図り、小学校区や中学校区単位で、PTAや社会福祉協議会などの既存の組織と連携し、既存の施設の転用を心がけるべきであると考えます。


Ⅱ.介護保険運営協議会に対する提案や監視が必要 

 ―専門職と市民による介護保険オンブズマン制度が必要

 ―介護保険の財政は「私たちの財布」 

 

 財政赤字や医療費の赤字を形成する共通した発想は、「他人のお金を使うことには全く無神経」で中には「それで儲けるという考え方」まであり、正に無責任態勢ではないでしょうか? 

 例えば、私たちが訪問診療で回っていると毎年年度末になると必ず目にする道路舗装工事にはいつも疑問が起こります。同じような所を「掘っては埋め」の繰り返しです。「自分のお金やその利益にあずかる人々で持ち寄ったお金」で果たして同様の工事を行うでしょうか?高額医療や検査漬けの医療も同様で、1000万円以上のお金を担当の医者や患者さんが自前のお金を使って行うでしょうか。「保険という隠れ蓑を使って利己的に利益を得る」という考えが蔓延していては成り立ちえません。 

 介護保険は市町村の管理ですから、「私たちの身近な財布」といえます。せめて生まれたばかりの介護保険の金銭の使い道に関しては、垂れ流しや利権の誘導などを許さない徹底した監視が必要と考えます。

 

 

Ⅲ.施設ケアは限界  

―「高齢者を地域で看て行く」という共通理解が必要 

 

 こうして見てくると施設ケアは限界で、施設は限られたパイであり、施設入所とはその限られたパイの奪い合いに他ならないことがわかってきます。関係者(特にケアマネジャー)は、「施設入所は敗北」くらいの認識を持つべきではないでしょうか。 

 東京で在宅ケアを行っている天本(あまもと)病院の院長は、高齢者を地域で看て行くことが重要で「地域を病棟として捉える発想が必要」と話されています。誤解を恐れず言えば「地域を病棟に、居宅をベッドに」の発想で臨むべきではないでしょうか。そうすると、訪問看護婦との連携は病院における感覚で、診療所間の連携も「他科依頼」の感覚で進められます。


Ⅳ.地域ネットワークシステムの構築

 

 私はこの間「地域ネット松戸」という形でこの専門職間の連携を試みてきています。それは「さまざまの公的組織もまた民間の機関も、お互いの垣根を乗り越え、諸組織を横断した新たな松戸市の保健・医療・福祉の地域ネットワーク」の試みで、「地域の保健・医療・福祉に関する現場に有用な講演会・討論会・事例検討会・交流会を開催する」というものです。これまで3回の討論会や講演会を開催し、それぞれ150人以上の参加を得、また提言を行ってきました。(それらの全内容は地域ネット松戸のホームページに掲載しています。)連携を語るには相互の人柄や能力の理解が必要で、こうした具体的な人的交流がまず基礎でありしかもそれをスピーディに進めることが今日要請されています。 

 介護保険制度の下では、一面、「民間資本の論理」が追求されます。介護の分野もベルトコンベヤー扱いされ、小さな事業者は淘汰され、大資本の事業者だけが生き残る事になりかねません。地元に根付きしっかりとした足取りでやっていても、大きな波に飲み込まれつぶされかねません。小規模事業者がその特徴を発揮しつつ成長するには、地域の連携が鍵となると考えます。


Ⅴ.医師育成過程の改革(医学教育、卒後教育) 

 

 現在の医学教育、卒後教育は技術偏重、論文偏重で専門性のみを追求しています。昨今の医療過誤の増大はこれと無関係ではないのです。臨床重視、人間性を大切にし総合的な観点に立った患者さん本位の医療は、在宅医療の実践的な教育の中から多くを学べます。既に看護教育では取り入れていますが、医師の卒前・卒後教育のカリキュラムに在宅医療を取り入れるべきであると考えます。これらを通して医療人への在宅医療の意義の再認識を進める必要があります。

 

Ⅵ.一般市民へのかかりつけ医および在宅ケアの再認識   

―「いざというときに頼りになる医者はかかりつけ医」 

 

 かかりつけ医の利点は、①他の病院への紹介で自由である点、②医療経済上安価である点、③継続した医療を行える点、④より総合的に患者さんを把握可能であり、慢性疾患の管理には適している点などがあります。病院と相補性を保ちながら、地域でのかかりつけ医制度の充実を図り、例えば「病院で診断や治療を終えた後は在宅でかかりつけ医が管理」という道の進展や、「亡くなる時は病院死を選択せずに在宅死を選択する」という道を開いて行く必要があります。勿論、これらの道に応えるにはかかりつけ医の側も、それなりの成長を要求されると考えます。

 

Ⅶ.保険点数上の誘導 

 

 この間在宅医療がまがりなりにも進展してきたのは、平成4年老人保健法により「寝たきり老人在宅総合診療料」が診療報酬上評価され、「老人訪問看護事業」が開始されたことが大きい。平成6年の診療報酬改定で、さらに在宅関連の診療報酬が充実し「在宅も採算がとれる」ようになってきました。しかし、未だに「座っていて患者さんが来るのならその方が楽」であり、また「幾多の部門を管理するのが煩雑で荷が重い」のも現状といえます。 

 介護保険は「長期の社会的入院の排除」を一方の柱としてきたが、「病院での終末期前後の過剰な検査と治療の根絶」という課題の対応策として在宅医療は成り得ると思われます。在宅医療に、より傾斜した保険点数上の誘導がそのテコと考えます。

 

Ⅷ.要介護認定の改訂  

―介護者と要介護者の社会的要因も勘案して判定するべき 

 

 前記の7で述べたように、要介護認定は要介護者のみならず介護者の心身状態や社会経済的な環境も考慮した認定が、結局は介護保険財政の健全な運営に寄与すると考えます。

 

11 さて最後に在宅ケアの進展にとって、「身近に出来る事・早急にしなければならない事」を以下に列挙致します。  

 

#1 講習会や交流会の設定  

#2 訪問診療可能な病・医院一覧の作成  

#3 診療所・医院と連携中核病院の結び付け  

#4 介護支援専門員・サービス事業者などへの医療の活用の呼びかけ  

#5 市民特に要介護者および介護者への宣伝  

#6 専門職や市民・利用者間の一層の連携推進


  皆様のご理解とそれぞれの立場での検討と取り組みを期待致します。